大阪市バス路線変遷-淀川を越える路線(1)<十三橋>

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3月に公開しましたこちらの路線変遷図。これを作るにあたって調べたことを切り崩しながら、方面別に主要路線の歴史、主に戦後復興以前の時期を振り返っていきたいと思います。いったい何回かかるかもわかりません。そもそもちゃんと続くのか。

さて、第一シリーズとして淀川を越える路線を取り上げていきます。
淀川を知らない人はまああんまりいないと思います。大阪市北部を流れる大きな川で、特に毛馬閘門より下流は明治に開通したもので川幅が極めて広くなっています。当然、陸路で川を越えるには橋が必要で、交通の要衝となります。ともすると淀川を越える路線というのは限られており、ある程度まとめて追いやすいということになります。

 

前置きが長くなりました。今回は市バスが初めて淀川を越えることになった十三橋を渡る系統を主に紹介したいと思います。

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十三橋を渡る路線は市バス誕生翌年の1928年12月25日、浄正橋~三国(22号系統)が初となります。ここで停留所名に出てくる「阪神電車」というのは北大阪線のことで、現在も「野田阪神(前)」は通用しますが、戦前・戦時中の市電・市バスの停留所名は「野田阪神電車前」とされており、同様に「天満橋京阪電車前」「住吉南海電車前」などの名前も見えます。

少し時代が下り、1937年5月11日には十三から分かれて新三国橋に至る区間が開設され、浄正橋~新三国橋(35号系統)が新設されます。1939年6月改正で系統番号のみ変更となりますが、翌1940年6月1日の改正では浄正橋発着から福島西通発着となり、あみだ池筋経由となりました。
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ちなみに1940年6月の改正は青バスを買収したことによる大きなものでした。青バスとは市バスより古くから走っていた民営の大阪乗合自動車のことで、大阪市中心部をはじめ、東大阪乗合自動車から引き継いだ布施・八尾方面の路線網も持っていたことから大規模な路線整理となり、系統番号も振り直しとなりました。これにより、三国行きは39号系統、新三国橋行きは40号系統となりました。途中に経路変更等がいろいろあったものの、この番号が今日の39号系統(野田阪神~十三~新大阪駅北口)まで続いているもので、同じように放射状の古い路線はこの頃から番号を引き継いでいるものが多いです。

しかしながら、戦時体制下の燃料統制等により1943年11月1日に40号系統(新三国橋)が、1944年6月1日に39号系統(三国)が廃止となり、十三橋を渡る市バスは一旦なくなります。
復活するのは戦後、1948年2月1日に40号系統(阪急阪神前~十三~新三国橋)が開設されたときになります。福島西通から十三橋に至るルートも1949年11月16日に39号系統(十三~福島西通~船津橋~川口町)が開設された際に復活しています。
十三橋を渡る路線としてはこのほかにも1948年7月7日に天満橋~阪急阪神前~加島町(41号系統、十三~加島町は阪急バスへの乗入れ)が開設され、1951年12月25日には加島町から先、神崎橋まで延長され、さらに1953年9月1日にはトロリーバスの第1号系統へと置き換えられます。

このあたりの流れは市内交通を一元化し、さらに宅地化が進む郊外へ乗り出したい市バス側と、市内中心部へ乗り入れたい民鉄バスとの間の睨み合いの落とし所として進んだところがあり、たとえば1948年の加島町乗り入れと同時に阪急バスは十三から梅田への延長を果たし、トロリーバス化に際しては民鉄バス各社共同となる内本町バスセンター(内本町二丁目)の新規開設・乗り入れを大阪市側が飲んだことによるものでした。ちなみに内本町バスセンター乗り入れに関しては、市内中心部のみの利用をさせず、豊中方面からのバスは十三以南、高槻方面からのバスは長柄橋南詰以南から内本町バスセンターまでの相互間では乗降できないという制限がつくこととなりました。

十三橋を越える系統はその後、三国から北東方向に伸びて榎木橋に至るものや、十三から東へ伸び淡路方面に乗り入れるものなどが生まれたほか、新三国橋から先、阪急の豊中駅まで乗り入れた111号系統(豊中線)など、主に大阪駅前発着のメインルートとして様々な系統が走ることとなります。
また、トロリーバス(神崎橋方面)は廃止後に97号系統となり、JR東西線開業による加島駅前乗り入れや、2014年の神崎橋乗り入れ廃止などを経ながら、今日の系統(大阪駅前~加島駅前)まで続いています。

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せっかくなので、111号系統(豊中線)の詳細にも触れておきたいと思います。
新三国橋以北豊中までの区間は1953年に路線申請を出していたところ、やはり阪急バスとの間で運行回数等の協定が結ばれ、1960年4月20日阿倍野橋~豊中の間で運行を開始したものです。当時、市域外へは堺東駅前への路線(1938年開設、1945年休止、1950年復活)と、八尾市内への路線(旧・青バス路線)、守口への路線(1950年開設)に次ぐものとなりました。
この豊中線は1977年まで走りますが、同様に市域外へ進出した路線としては、住道線(安田以遠住道駅前まで、1961年開設、1977年廃止)、大蓮線(西足代以遠八尾市役所前まで、1963年開設、1978年廃止)、庭窪線(守口以遠八番まで、1964年開設、1978年廃止)、伊丹線(歌島橋以遠豊中ICまで、1965年開設、1978年廃止)、柏原線(平野京町一丁目以遠太子堂まで、1966年開設、1977年廃止)が存在していました。

 

というわけで、第一回は十三橋を越える路線でした。次は長柄橋あたりをやりたいと思います。