野田阪神という不思議な駅名

なんとなく思うことがあるかもしれない話ですが、大阪には「野田阪神」という駅があります。「阪神」とはもちろんタイガースでおなじみの阪神電鉄ですが、これは阪神の駅名ではなく地下鉄千日前線の駅です。
調べればすぐわかることですが、野田阪神という駅名はもともと「野田阪神電車前」という市電の駅名が由来になっています。これが一般に「野田阪神」と略して呼ばれ、後年地下鉄になったときも「野田阪神」のまま引き継がれたわけです。

市営交通なのに他社の私鉄の名前をつけるというのはなんとなく変な感じがしますが、こと大阪においてはこういう例はそんなに珍しくありません。

たとえばかつての梅田周辺の市電・市バスの停留所名を見ると「阪神電車前」「阪急電車前」というもはや地名すらついていない名前があります。


バス停名の例。大阪市公報1085号(1929)より

阪神電車前」はいまの「大阪駅前西」交差点のあたりで、ハービスが建っているのが昔の阪神梅田駅の跡地です。前から梅田を知っている人だと中央郵便局の交差点と言ったほうがわかりやすいかもしれません。
もう一方の「阪急電車前」はいまも「阪急前」交差点があり、阪急百貨店の南側や東側にあたります。市電は開通が早いので「箕有電車前」の時代からありました。
この2つの中間に「大阪駅前」の駅・バス停もあり、梅田というのはこの3つの乗り場で構成されていました。

▲方向別・路線別に複数の乗り場があるため、だいたいの場所です。(地理院地図より作成)

阪神は1939年に現在の地下駅に移転したため「阪神電車前」は「阪神西口」に、「阪急電車前」は「阪急阪神前」に改称します。
先に「阪急前」交差点がある、と書きましたが「阪神前」交差点も隣にあるのは、この2つの交差点はもともと同じ「阪急阪神前」交差点だったからです。
阪神西口」はその後「大阪駅西口」に変わってすぐなくなってしまうのですが、阪急阪神前のほうはもう少し続きます。

いまの阪急の駅はJR(当時は国鉄)の高架の北側にありますが、この位置への移転は1971年に完了します。この少し前の1970年に「阪急阪神前」のバス停は「大阪駅前」の乗り場の一つとして統合、消えてしまいます。
しかし、1978年に大阪駅前バス停のうち、旧阪急阪神前であったバス停に「曽根崎警察署前」という副称が付けられます。当時の資料には「付随名称を付加するのは、曽根崎署より東側の花月劇場又は富国生命ビルの前の停留所に限る」とあります。
要は扇町通上にあるバス停のことですが、お初天神商店街の方というか、泉の広場に向かって歩いて行く地下道の上というか、そういう場所ですね。
この副称はここからずっと使われ続け、乗り場ごとにちゃんと違う名前をつける流れの中で、「曽根崎警察署」として再度独立したのが2014年のことです。


大阪シティバス路線図(2022年4月1日現在)より

地名すらつかなかったほかの例は「大鉄電車前」がありますが、これは大阪鉄道のことで近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅を指します。
阿倍野橋(大鉄電車前)」「阿倍野橋(関急前)」を経て、「あべの橋」の一部として統合されますが、交差点名は今も「近鉄前」ですね。

解説は割愛しますが、ほかの例はこんな感じです。
京阪:「天満橋京阪電車前」「野江京阪電車前」「関目京阪電車前」「京阪東口」
阪神:「大仁阪神電車前」「国道野田阪神電車前」
南海:「住吉南海電車前」
阪急:「阪急東口」

タイトルから離れて梅田の話をしすぎましたが、野田阪神の話に戻ります。
つまりこれだけ例があってなぜ野田阪神だけ生き残ったのか、ということです。天満橋だって「天満橋京阪」でいいのでは?
結局のところ、これは環状線野田駅がかなり古くからあったからです。こちらは1898年に西成鉄道の時代に設けられていて、阪神野田駅はその後1905年にできています。つまり、その両方に接続する市営交通は、阪神国鉄かを区別する必要があったわけで、後年、それがしかも同じ地下鉄路線の駅として作ることとなってしまい、阪神への乗換駅は「野田阪神」と国鉄への乗換駅は「玉川」(市電時代などは玉川四丁目でした)となったのでした。

最後に完全な余談ですが、三陸鉄道に「野田玉川」「陸中野田」という駅が、久慈を挟んでJR八戸線に「玉川」があり、路線図を見るたびに不思議な感じがしています。
「陸中野田」は「野田」が既に大阪にあったからでしょうし、「野田玉川」は「玉川」が八戸線にあったからでしょうね。


コンパス時刻表2022年3月号より

という感じで、今後もこういうことを適宜発散していきます。