道東へ(後)

はるか前になってしまいましたが、前回は釧路から奥行臼までを書きましたのでその続き。
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奥行臼を出発して、根室を目指します。

まずはまっすぐ南に下り、厚床駅に到着。

ちょうど花咲線は14時20分発、釧路行きのお時間でした。まあ乗り降りゼロなんですが・・・。

しかしその列車を健気に待つ根室交通。ちなみに駅舎の中はほぼ根室交通の案内が占めていました。


道道44号を東へひた走りまして花咲駅跡。駅はもうないのに花咲線という愛称なの、片町線感がありますね。


花咲港のほうへ向かい、根室市歴史と自然の資料館に入ります。


かつて樺太に引かれた北緯50度線国境の石がありました。全部で4つあったらしく、そういえば同じ目的のものをサハリン州立博物館で見ましたね。
そのほかもろもろ展示を見ていると夕方に。本当に日暮れが早い。



博物館の前の道をまっすぐ行くと花咲灯台根室車石があります。
車石は柱状節理で車輪のような形になっている岩のことです。柱状節理って語感が好きなだけで覚えている言葉で、理論は知りません。
www.city.nemuro.hokkaido.jp


そして最東端の駅、東根室駅へ移動。


ホームからの夕焼け。



翌朝。
やはり早寝早起きとなり、8時半には本土最東端の納沙布岬に着いていました。

ありがち巨大オブジェや根室市北方領土資料館、北方館などがあります。


着いた直後はこのように天気が良く、奥にぼんやりと貝殻島灯台が見えたんですが、しばらくするともやの向こう側に入ってしまいました。


9時頃、日本最東端のバス停「納沙布岬」に到着する根室交通。平日は5本、土休日は4本です。
バスを待っていたのかというと、実はそうではなく諸々の資料館系が9時からしか開かないからですね、そらそうだ。

ピィ~~~


すぐそばにこういうのがありますが、納沙布岬灯台はちょっとだけ離れたところにあります。
たぶん500メートルぐらいなんですけど無駄に車で移動します。くたばれSDGs



というわけでがっつり曇りましたね。


少しだけ道を戻り、「珸瑤瑁」の集落をうろつく不審者をやりました。
「珸瑤瑁」こういうほかでいつ活躍するのかわからない漢字めっちゃ興奮しますよね。それの3点セットなので優勝です。


正解はこちら。
土曜なので郵便局はやってませんでしたが記念印とか集める人はそれ目的で来るんだろうなあと思うとすごいですよね。人のことあんま言えないけど。


珸瑤瑁小学校、既に10年前に廃校になっていますが、おそらく最東端の震度計があるようです。正直、地震情報で出てくるので知ったみたいなところがあります。
バス停は今は「珸瑤瑁港入口」のようですが、待合室は「珸瑤瑁学校前」になってましたね。


少しまた西へ戻り、歯舞の集落にある最東端のコンビニ、セイコーマートうちやま歯舞店で適当に朝ごはんを買いました。


友知の集落に少し寄り道をします。
集落の東側、旧道が投げ捨てられていてとてもよいですね。割とイエローラインも鮮明なんですが廃道です。


集落の西側にもあります、いいですね。

www.city.nemuro.hokkaido.jp
さて、根室の市街地を抜けまして根室IC近くにある北海道立北方四島交流センターに寄ります。


戦後のものとは言えこの時代の地図だと中ノ鳥島を確認してしまいますね。
あと発行者が実家から割りと近めで、新阪南公園のそばみたいですね。


あと「対話ルーム」の「今は、きょりをとって」が高度な風刺の感があります。ないです。ロシア、行きたい街も結構あるんだけどなあ。
交流センターを出て、根室から茶内までひたすら移動します。


茶内には浜中町営軌道の保存車がいるということで寄り道なんですが、置いてあるはずの場所がもぬけの殻でびっくりしましたが、少し離れた農村運動広場で整備中(2022年10月時点)の感じでした。
ブルーシート姿で残念でしたがきれいになってたので保存も続けてくれそうですね。

この後はひたすら移動と北の大地の入場券めぐりを繰り返して、釧路空港まで帰りました。
釧路湿原駅(正確にはその上のビジターズラウンジ)に向かう道が結構なでこぼこ悪路で、ビビりちらかしながら往復しました。細岡駅までは立派な道だったのに・・・。


釧路空港の夕暮れ、名残惜しさを感じながら帰路に着きました。