大阪で橋といえばその多くが堀や運河に架けられたものですが、「阿倍野橋」は鉄道を越えるために架けられたものです。
都市内道路の立体化が試みられたのは、市電が急速に敷設されたことによってである。また、昭和初期の都市計画事業においても道路の立体化が進められた。
阿倍野橋は阿倍野線(現在の大阪和泉泉南線の一部)の建設に伴って堀割の天王寺駅を越えるため、昭和18年に架けられたものである。
大阪市:阿倍野橋(あべのばし) (…>橋>橋の紹介)
割とざっくりした説明です。現在の橋は1943年に架けられたものですが、それ以前から、鉄道を越えるために架けられていました。
遡ることおよそ130年前。
最初の橋は1889年に大阪鉄道の湊町~柏原(現・大和路線)が開通に際して、街道の部分を掘削した代わりに架けられたのが始まりです。この道を「阿倍(部)野街道」と呼んだので阿倍(部)野橋と付けられたのだと思われます。
ここから先の細かな話に入っていきます。今回も馬車鉄道のお話です。
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